
はい、どーも営業のひとりでございます!
相変わらず寒いですなぁ。風邪など召しませぬよう、皆さんお気を付けください。
さて、今回はいつもと趣向を変えまして、自分が経験したパラダイステレビの思い出を書きなぐっていこうかと思いますよ。
※ぶっちゃけ自分目線なので、他のスタッフや当時の視聴者からは異論もあるでしょうが、あえてスルーさせていただきます( ´∀` )
自分がパラダイステレビに関わり始めたのは、西暦2003年4月22日。
当時はパラダイステレビを支えるフリーランスとして働いておりました。
でもって、いきなり1週間ほど会社に泊まり続けて編集作業をしないと納期が間に合わないという、ハードワークな日々(´・ω・`)
自宅に久しぶりに帰ると、冷蔵庫に入れておいたカレーや炒め物が全滅ということもしばしば|д゚)
そしてゴールデンウィーク前後でしたか、会社内でこんな話が出ていました。
「パラダイステレビでも24時間テレビを放送してみたら面白いんじゃね?」
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
実はパラダイステレビ創世記のスタッフは地上波での制作を経験しておりまして、
さらには日本テ○ビで毎年放送している24時間テレビの制作に関わったことがあったりするんですね。
パラダイステレビとしては、あの番組をリスペクトし、オマージュとして「24時間テレビ」を放送してみてはどうだろうか!?
ということになったようなんです。
独立系放送局、しかもアダルトチャンネルで24時間をぶっ通しで生放送なんて前例がない!
だが前人未踏の地を歩き、歴史を作ってきたのがパラダイステレビ!
色々ありましたが、とにかく24時間テレビにGOサインが出たんですわ!
「愛は地球を救う」ならば「エロも地球を救う」じゃね?ってことで、2003年である第1回は「エロも地球を救う」がサブタイトルに決定。
具体的な放送内容を決める前に、人員配置、システム設計などで社内では喧々諤々議論が白熱し、さらには準備もアチコチで大混乱だったと聞いております。
その中でイチバン苦労したのが企画会議。
テレビ番組にはメリハリを付けるために、目玉を幾つか用意する必要があります。
その中身というのは
①メインテーマはストップエイズ
やはりテーマは重要です。24時間をまるまる番組として放送するわけですからキチンとした主軸が必要。
2003年頃、多くの人にとってエイズというのは、朧げなイメージでした。
「性」というものをマジメに考えた番組も多く制作していたパラダイステレビにとっては行きつくべき概念だったのかもしれません。
我々だけのチカラとは言いませんが「ストップエイズ」を日本国内へ向けて拡散した一端を担ったのは間違いないでしょう。
②おっぱい募金実施
現在も連綿と続く、パラダイステレビが誇る大型チャリティ企画がココに生まれました。
企画段階で募金自体はネタだったかもしれませんが、募金活動をキチンと行い、社会貢献活動を行おうという気概はマジ凄かったですね。
募金してくれた人にも感謝ですし、おっぱい募金を担当してくれた女優さん(たった1名!)には本当に頭が下がります。
③MCに小林ひとみ!
昭和世代にはお馴染みすぎる有名女優「小林ひとみ」
MC決定という一報にはスタッフとして驚きました!
彼女をオカズにオナニーした人は1千万人はくだらないハズ(笑)
あの小林ひとみが本当にパラダイステレビ社屋を訪れるなんて当日まで信用できませんでしたよ(#^^#)
到着した時のオーラはやはり違いましたねー。楽屋でデビュー前の秘話なんてのも聞きましたが、それはマジ秘密<(_ _)>
④Tシャツ作成
24時間テレビといえばTシャツだろう!って誰が言い出したのかは知りませんが、放送直前にこのTシャツが配布されましたね。
当時はこれを売ろうなんて、考えもしなかったのでスタッフが着て24時間もてばイイ!という安易な考えだったので、ぺらっぺらの薄手生地でした(´・ω・`)
⑤豪華企画が続々決定!
「エロエロ電話リクエスト」
「脱衣マージャン」
「おっぱい丸出し大騒ぎSP」
「24時間48手SEX」
「セクハラも地球を救う~セクハラ募金開設~今あなたが一番セクハラしたい人」
「ビックリ日本エロ記録『2時間でおしっこカキ氷何杯できるか?」
「視聴者コーモンコーマン自由自在」
「処女喪失ナイトSP」
「朝立ち生テレビ風SP」
「ニュースパラダイス」※これ何回も放送してたからスタッフは地獄!
もうね、お腹いっぱいじゃね!?すげえ濃い内容ばっかりでしょ!?全てが目玉企画じゃねえのコレ?って感じ。
コレらの番組をたった数十名のスタッフで生放送するなんて無謀極まりない話だけど、やりきったんすよ。
技術スタッフに聞いたところ、「当日は変更に次ぐ変更で、いつ放送事故が起きてもおかしくないくらいギリギリだった」とのこと。
こんな多くの企画を生放送しながら、おっぱい募金も並行するなんて尋常ではない。
裏方として関わっていた自分から見ても、パラダイステレビの2003年夏は奇跡だったと言っても過言ではありません!
あの奇跡があったからこそ、その後10年以上に渡って続く24時間テレビとおっぱい募金に繋がるわけですね。
あの2003年の夏、アナタは何をしていましたか?
我々スタッフが番組終了後に、小林ひとみさんの前に列を作り、サインを貰っていたコトはできるだけ秘密にしておいてくださいm(__)m
それではまた、チャオ―!